高縄会について

◎高縄会の歴史

 高縄会は、1915年(大正4年)に、「旧風早地方からの上京者に対する就職や住居の紹介等の互助組織」としてスタートし、2015年で100周年を迎えております。
注:「旧風早地方」とは、現松山市のうち旧北条市(浅海・難波・北条・正岡・立岩・河野・粟井)をいう。

 発足当時の状況としては、「会の発足当時、東京に出てくるといえば、丸一汽船(石崎汽船)で北条から尾道にわたって、本土の汽車に乗らなければならなかったし、国鉄が北条に開通した大正の終りでも、一昼夜以上を要したのであります。
当時、故郷を後にして東京に出てくるには、一大決心を要したと思われます。」と先人の記述もあり、在郷の地元有力者が中心となって高縄会が結成されました。
*初代会長:重見番五郎氏(立岩出身、立岩村村長、愛媛県議会議員他歴任)

 その後、関東大震災(大正12年)で東京が壊滅的な打撃を受けて以後、会の活動が低迷しておりましたが、1928年(昭和3年)在京の有志が集まって、石丸優三氏を第2代目会長に戴き、組織の整備を行うとともに、初めての「高縄会雑誌」を発刊しています。
*2代目会長:石丸優三氏(善応寺出身、外務省・文部省・大分商業学校長他歴任)

同雑誌第2号に掲載された渡辺喜十郎氏の「故郷の諸兄に告ぐ」の一部をご紹介します。
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「故郷と異郷を結びつける高縄会雑誌が出来た。」吾々が永い間望んで而も能わなかった高縄会雑誌が今回有志の奔走に依り刊行せらるるに至った事は誠に嬉しい事で吾々は先以て有志諸兄に御礼を申し上げねばならない。   *  *  *
 平和でおっとりした風早に孤々の声を挙げた吾々は何時迄も此地に夢見る事は出来ずやがてパンを求める為に学を修めるために異郷に走る事を余儀なくされた。
   (途中省略)
 立岩川の鮎釣りや高縄山の蕨狩りから栗拾い鹿島祭りの音信は異郷にある吾々の荒び切った心を最もよく慰めて呉れる事が出来るであろう。
故郷の諸兄よ本誌を通じ諸兄は故郷のわれわれは異郷の夫々音信をする事によってお互いに声援し此故郷と異郷を結び付ける高縄会雑誌を最大限に利用しようではないか。
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*3代目会長:渡辺喜十郎氏(下難波出身、愛媛県北条市名誉市民、東京弁護士会会長、日本弁護士連合会会長他歴任)

 その後、時代も変化し敗戦等の激動期もあり、活動の低迷期もありましたが、昭和63年の高縄会会員名簿の前書きに、以下のような記述があります。
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 発足当時(注:昭和3年の体制整備時のこと)の会員のうちまだお元気な方もいますが、何しろ半世紀も前に既に第一線で活躍されていた方々のお名前を見ると色々なことが思い出されると同時に、その後の世の中の変遷のはげしさが胸を打ちます。また、郷里出身者の二世三世の世代の人も多くなりました。
(一部省略)
 今は、飛行機を利用すれば一時間余で到達出来ますし、また十数時間もあればヨーロッパにも行けます。
また東京の大学に来る青年の数も多勢になりました。
だから昔のように、遠い遠い他国で望郷の念にかられて生活し働くのとは異なりますが、矢張り同郷の出身者の集まりは何ともいえずお互いに力をつけ合うのに役立つような気になるのは今も昔も変わらないのではないでしょうか。
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*4代目会長:渡部伍良氏(神田出身、農林水産事務次官他歴任)

 その後、時代の変化とともに互助会的な意味合いが薄れ、在京者の年に1回の交流会的活動に変化してきています。
また会員の高齢化及び新規入会者が減少に対して、次世代も含めた活性化の努力が必要な状況となっています。
*5代目会長:大石慎三郎(中西、学習院大学教授、愛媛県歴史文化博物館初代館長他歴任)

 大石会長ご逝去の後、副会長の田中氏が会長に就任されます。皆で協力して高縄会の活性化を図っていこうという矢先に、ご病気で急逝されます。
*6代目会長:田中慰(八反地出身、田中宝飾株式会社社長)

 田中会長ご逝去の後、2007年(平成19年)早坂氏が就任されます。早坂会長は高縄会の若返りを強調され、特に若手の新規入会者を増加させるための活動を推し進めてこられましたが、2015年(平成27年)ご病気が悪化されたため、会長を辞任されます。
その後は名誉会長として、会の発展にご協力されました。
なお、早坂氏の作詞された「花へんろ音頭」を高縄会の会歌とさせて頂いております。
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 早坂さんは旧北条地区に生まれ、旧制松山中学、海軍兵学校、旧制松山高校を経て日本大芸術学部演劇科を卒業。
花道・茶道の専門誌記者、編集長を約10年務めた後、1961年「ガラスの部屋」で本格的に脚本家としてデビューした。
家族の絆や人情の機微を細やかに描き人気作家に。
執筆したテレビや映画の脚本は2千本を超え、小説や舞台演出も手掛けた。
(愛媛新聞 12月17日版より)
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*7代目会長:早坂暁(辻町出身、作家・脚本家、本名:富田祥資)
 早坂名誉会長は、2017年(平成29年)12月16日にご逝去されました。
愛媛新聞(12月17日版)に掲載されました土井内会長(現会長)のコメントをご紹介しておきます。
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会長職を継いだ土井内徹さんは「早坂さんが会長に就いてから、著名な作家のお話を聞くのを楽しみに女性会員が増加した。晩年になっても古里のために貢献されている姿を見て感動した」と郷里を思う心の深さを強調。「会長を引き継ぐ前に4回ほどお会いした時は元気そうだった。一時、体調を悪くされたと聞いていたが、突然のことで驚いている」としのんだ。
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*8代目会長:土井内徹(朝日町出身、元協和発酵(株)専務取締役兼医薬カンパニープレジデント・同グループ監理室長を経て同社顧問、加藤記念バイオサイエンス振興財団常務理事等歴任、現協和発酵キリン(株)社友)

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◎会長挨拶

平成27年8月
土井内 徹

  皆さん、今日は。残暑厳しき折柄、高縄会会員の皆さんにはご健勝にてお過ごしのことと拝察申し上げます。

 この度、高縄会会員の皆さんのご賛同を得て会長職をお引き受けすることになりました土井内徹です。先ずは簡単に自己紹介をさせて頂きます。
 出身は旧北条町朝日町、昭和17年10月1日生。長男ですが、故郷を出て 東京にて浪人、学生時代を過ごし、サラリーマン人生を卒業するまで、この間昭和40年代後半の1971年~1975年の4年間、当時の西独デュッセルドルフ駐在期間はありますがほぼ半世紀を東京にて勤務、横浜に在住することになりました。

 これまで長年に渡り高縄会の発展のためにご尽力されました早坂暁先生のような類稀なる才能もなく浅学菲才の身ですが、自然豊かな環境で育んでくれた故郷や同じ思いを抱く皆さん方に多少なりともお役に立つことが出来ればと思います。よろしくお願いいたします。

 高縄会入会の契機は、高校同期(松山北高校12期)の田中勲君の紹介によるものです。春は桜、それも上野の満開の桜、絶えて久しく味わうことが出来なかった春を告げる魚「いかなご」と「醤油の実」の美味、加えて郷里の銘酒「桜うづまき」、「雪雀」に舌鼓を打ちつつ早坂暁前会長の時代考証を伴った興味尽きないお話と、三拍子も五拍子も揃った故郷の集まりにすっかり魅せられることになりました。平成20年4月5日、こんな楽しい集いがあることを初めて知るところとなりました。

 そんな高縄会も今年平成27年4月記念すべき100周年を迎えることになりました。高縄会発足時の大正4年(1915年)は現在の夏の全国高校野球選手権が旧制中学の野球全国大会として始まった年でもあります。第一回大会は僅か出場10校だったそうです。そんな古き時代に愛媛の片田舎・風早地区から遥々地縁もない大都会東京へと旅立ち、初会合はどんな会合であったのだろうかと、尋常小学校唱歌「故郷」の歌詞の如く夢と志を抱いて上京されたであろう故郷の先人に想いを馳せざるを得ません。

 100年の歴史とその重みに鑑み、尚且つ諸先輩方がいらっしゃる中で大役をお引き受けし、身の引き締まる思いですが、次の世代の方への繋ぎ役として高縄会の発展のために尽くせればと考えています。

 さて、今後の高縄会の活動に当たり課題もあります。会員の高齢化、若い人達の参加、病気や介護で参加が困難な方との連携、郷里の行事紹介や交流、このための一助として高縄会ホームページの開設による情報公開などです。

 幸い、幹事の堺逸郎さんを中心に、泉久仁夫さん、田崎信子さん、大森礼子さんのみならず、若手の西原是良さん、立町宏さん、沼田謙太郎さんをはじめ有志の野村孝志さん、渡部展久さん、またホームページ開設のため特段のご尽力を頂いている堺さん知人のAccept(アクセプト)社長の平田実さんのご参加を得て、色々ご提言を頂きながら検討していく状況になりつつあります。誠に心強い限りです。

 末尾になり恐縮ですが、毎年ご芳志を賜っている「森水産」の森敬一社長、「忽那醸造」の忽那哲郎社長、「桜うづまき」の篠原成行会長、まだご面識を得ていませんが「雪雀」の猪野敏朗社長に改めて厚く御礼申し上げます。これまでの100年に渡る本会の歩みに思いを致すと、先代やその前の時代から多大のご支援を頂いていたのではないかと、誠に有難い限りです。
 また、休日の土曜日開催、ご多用にも拘らず来賓として毎年ご出席賜り、ご祝辞を頂いている松山市東京事務所所長(松本真也さん)並びに愛媛新聞社東京支社編集部長(山本良さん)にも厚く御礼申し上げる次第です。今後とも何卒よろしくお願いいたします。

 “高縄会”、いついつまでも、こんな“故郷の会”があると語り誇れる会に皆さんと一緒に新たな歴史のページを一年一年刻むことが出来れば幸いです。

 以上ご挨拶とさせて頂きます。

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◎会則

昭和3年6月発行の高縄会雑誌第2号に、当時の「高縄会会則」が記載されておりますが、その後の経過で現状に合わない部分も多くなっておりました。
また、現時点では会則自体もあやふやになってきておりましたので、新しい会則を作成しました。
第100回の高縄会総会におきまして、参加会員全員のご賛同を得て正式に決定されました。

第1章 総則
(名称)
第1条
 当会は、高縄会と称する。
(目的)
第2条
 当会は、会員相互の親睦を図り、郷土との連帯を密にし、ふるさと風早地方の発展に寄与することを目的とする。
(所在地)
第3条
 当会は、当分の間、下記の住所に事務局を置くものとする。
千葉市中央区内(堺幹事方)
Email:sakai.iturou@takanawakai.info

第2章 組織及び役員等
(役員)
第4条
 当会の役員は、会長、副会長、監査役、会計責任者および幹事をおくものとする。
(役員の選任)
第5条
 役員の選任は、総会において選任するものとする。
(役員の任期)
第6条
 役員の任期は2年とする。
ただし、再任を妨げるものではない。
(構成員)
第7条
 会員の参加資格は、下記の者とする。
一般会員:風早地方出身で関東地方に在住する者、及び風早地方在住で高縄会の活動に協賛する者
特別会員:高縄会の活動に対して、特に協賛の意のある者

第3章 総会
(招集)
第8条
 総会は、会長がこれを招集するものとする。
ただし、開催日については特段の事情の無い限り、4月の第1土曜日とする。
(決議方法)
第9条
 総会の決議は、出席した会員の多数決をもって行うものとする。

第4章 会計
(会費他)
第10条
 本会の経費は、会費及び寄付金をもって充当する。
会費等については、総会において決定する。
(会計責任者)
第11条
 会計責任者は幹事のうち1名が担当し、監査役の監査を経て、毎年の総会で収支報告を行う。
(会計監査)
第12条
 監査役は幹事のうち1名が担当し、監査結果について総会で報告を行う。
〔現在の役員等〕
名誉会長  早坂 暁
会 長   土井内 徹
副会長   森 敬一 渡部 展久
幹 事   泉 久仁夫(企画、地方交流、監査役)
      堺 逸郎 (企画、会計)
      田崎 信子(広報)
      立町 宏
      有馬 聖夫(会計)

(備考)
当会の構成員につきましては、一般会員と特別会員とがあります。
特に、特別会員につきましては、風早地方出身の有無にかかわらず幅広い参加資格となっております。
有志の方々のご参加をお待ちしております。

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◎高縄会の歌

早坂名誉会長作詞の「花へんろ音頭」を高縄会の歌としております。

「花へんろ音頭」

花へんろ音頭
作詞  早坂暁    作曲  高橋英介
歌・石川さゆり

YouTubeで花へんろ音頭が聴けます。こちらから

春はうれしい 一茶の道に
えひめあやめが咲きました
風に ほのか 紫 花がゆれ
へんろ へんろ 花へんろ
なもし風早 花へんろ

夏はうれしい 鹿島が見える
浜に防風 咲きました
虚子も 一句 読んでる白い花
へんろ へんろ 花へんろ
なもし風早 花へんろ

秋はうれしい 立岩川の
水辺 コスモス 咲きました
虹の 七色 そりゃ 夢なのか
へんろ へんろ 花へんろ
なもし風早 花へんろ

冬はうれしい 高縄山に
さつま紅 咲きました
河野水軍 名残り花
へんろ へんろ 花へんろ
なもし風早 花へんろ

ここは うれしい 鹿島の里に
人も負けずに 花となれ
あなたは どんな 花なのか
へんろ へんろ 花へんろ
なもし風早 花へんろ
ヒメアヤメ1ヒメアヤメ3ヒメアヤメ2

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